黒澤 明





「世界のクロサワ」

黒澤明は世界的に認知され高い評価を受けた日本を代表する映画監督の一人である。

映画史の中で最も重要かつ影響力のある映画監督の一人であり、ダイナミックな映像表現とヒューマニズムに徹した作風で、『羅生門』『生きる』『七人の侍』など30本の監督作品を生み出した。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に世界的にその名が知られており、作品もアカデミー賞と世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)で受賞され、多大な評価を得ている。また、北野武、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラなどの映画人にも大きな影響を与えており、「世界のクロサワ」と呼ばれた。

映画監督として初めて文化勲章と国民栄誉賞に選出。ほかの栄典・称号に文化功労者、従三位、東京都名誉都民など。1990年に日本人初のアカデミー賞名誉賞を受賞。1999年には米週刊誌『タイム』アジア版の「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選出されている。米国映画芸術科学アカデミー会員。 (wikipedia 黒澤明より引用)

アカデミー賞と世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)での受賞、国内においては文化勲章と国民栄誉賞を受賞し、アカデミー賞名誉賞、米週刊誌『タイム』アジア版の「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」、米国映画芸術科学アカデミー会員といったように数々の権威ある受賞や称号を得ている。

これらの高い評価は11室の象意である。

特に何もチャートを見なくても、11室や11室の支配星が強いこと、あるいは、5-11室の軸で、強力なラージャヨーガやダナヨーガが形成されていることが予想されるのである。

実際にチャートを見てみると、ラグナは天秤座のスヴァーティーであり、9室支配の水星が5室に在住し、10室支配の月が11室に在住することで、5-11室の軸で、9-10のダルマカルマラージャヨーガを形成している。

9室は真理、法則、奉仕のハウスであり、10室は仕事、影響力のハウスである。

9室と10室のコンビネーションは、教育者を表し、仕事を通じて真理や法則を発見し、世界に奉仕、貢献する配置である。

それが5-11室の軸で生じているため、作品(5室)を創造し、高い評価(11室)を受けるのである。

この強力な水星と月のラージャヨーガが黒澤明に「世界のクロサワ」としての名声をもたらしたのである。


黒澤明は多くの映画作家に影響を与え、ジョージルーカスやスティーブン・スピルバーグを初めとして、多くの映画監督が、黒澤明の映像手法から学び、それを模倣している。

これは黒澤明が世界の映画作家たちが見習う教師であることを表している。

教師のやり方から学び、それを模倣するのが生徒である。

従って、黒澤明は映画監督であるが、教育者でもあるのである。

それは5-11室の軸で形成される9室支配の水星と10室支配の月のコンビネーションに現れている。

世界的な影響

日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。

ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のストーリー自体が『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、C-3POとR2-D2は同作の登場人物である太平(演千秋実)と又七(演藤原釜足)がモデルとなっている。

スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』において砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』を、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』を、『シンドラーのリスト』のパートカラーは『天国と地獄』を、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』をそれぞれ模したと言われる。

フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は、『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したと言われる。
マーティン・スコセッシは黒澤映画を名画座に通い続け鑑賞し、また実際にフィルムを手にしカットの構成を研究し尽くしたという。また、ジョン・ミリアス、ジョージ・ミラー、ロン・ハワードも黒澤映画の大ファンであり、自身の作品に大きく投影されている。

『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督)のように、盗作問題に発展したケースもある。
技術的には、例えばサム・ペキンパー監督が得意として他のアクション映画でも多用されるアクションシーンのスローモーション撮影は、元を辿れば黒澤明の『姿三四郎』の手法であり、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。

また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与え、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせる、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせる、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせる、といったように視覚効果を得るため様々な工夫を凝らしている。
『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンでは、『七人の侍』の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用されていたり、『ラストサムライ』(エドワード・ズウィック監督)では雨や風、馬や屍の使い方など、黒澤映画から引用されたショットが多数に渡っている。黒澤を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどである。

クリント・イーストウッドは「クロサワは自分の映画人生の原点だ」と語っている。
北野武も黒澤映画の影響を受けた人物の一人である。また黒澤も北野映画のファンであることを公言していた。
黒澤との対談動画もある宮崎駿作品に対する影響には枚挙に暇もない。一例として『ハウルの動く城』冒頭の『蜘蛛巣城』の類似など。(wikipedia 黒澤明より引用)

5室には9、12室支配の水星が在住しているが、これは黒澤明の生徒は、ジョージルーカスやスティーブン・スピルバーグ、フランシス・フォード・コッポラといった逆に彼の教師になれる程の海外の一流の映画人である。

師匠と弟子の関係は常に入れ替わるのであり、教師が生徒に教えていたかと思うと、逆に生徒から教えられたりする。

黒澤明の9、12室支配で5室に在住する水星は、海外で高い評価を受け、その映像手法を多くの映画人が学び、そして、学んだ映画人たちが成長して、逆に黒澤明に映画作家としての良い刺激を与えるという、そのような幸福な関係なのである。

このような関係性は幸福な師弟関係であり、正に5-9の関係である。

黒澤明の映像手法


またこの水瓶座5室に在住する9、12室支配の水星は、黒澤明の映画作家としての才能を表している。

黒澤明の映像手法について評論する海外で作成されたyoutubeの動画がある。

それによれば、黒澤映画の中には「動き」が満ちていて、画面背景にある自然の動きや群衆の動き、個人の動き、カメラの動き、カットの動きなどが、調和して、全体として統一された映像を創りだしているということである。(参考サイト:映画ランド

これは画家で言えば、構図の取り方などの天才なのではないかと思われる。

構図とは、「各部分を適当に配置してまとまった全体を作り上げること」である。

登場人物や自然などを配置して、そうした各部分を動かして統一した全体としての調和を創りだす能力である。

中世の大画家であるラファエロの作品などを見ると、その構図の才能がよく現れている。



黒澤明の映像手法は、まさに一つ一つの画面の構図をまるで画家が絵を描くかのように作り上げていく能力にあったようである。

その天才的な構図の取り方を海外の映画監督は、まさにほとんど模倣したようである。

youtubeの動画がそのことを指摘している。


水瓶座はグループ活動の星座であり、組織化の星座である。

共同体、連帯の星座である。個々の個人を取り上げるというよりも全体としての統一感ある調和を作り出す星座である。

フリッチョフカプラ、デヴィッドボームなどが始めたエコロジーの思想、ニューサイエンスに体現されているのが水瓶座の思想であり、『全体は個々の総和以上のものである』というのがその思想の本質であり、これは水瓶座の理想を表している。

つまり、黒澤作品には主役はいるのだが、主役以外の脇役や自然環境なども重要であり、画面に登場する個々の要素全てが、それらの単純加算以上の全体としての美を作り出しているのである。

『七人の侍』という映画は7人の侍が主役だが、7は宇宙を構成する完璧な数字であり、7光線であり、全ての要素が揃っていることを表している。

この7人の侍が協力して団結して敵を撃退することの中に水瓶座の理想がある。

『七人の侍』というのはそういう意味で、水瓶座を体現している象徴的な作品である。

またこの水星についてもう一つ指摘すると、水星は10室支配の月からアスペクトされており、水星と月のコンビネーションが見られる。

水星は文筆の惑星であり、月は直感、情緒の星座である。

従って、水星と月は詩人や作詞家などを生み出す配置である。

黒澤明が監督した全ての作品において、自身も脚本家として名前がクレジットされている。

これは役者のセリフの内容にこだわっていたことを示している。

従って、まず監督である前に脚本家でもあったということが出来るかもしれない。

黒澤明は、シェイクスピアやドストエフスキーなどの作品を映画化したが、それらの作品は詩的であり、登場人物が感情豊かである。






年表を使って、過去の出来事とダシャーの関係を見ていくと、ダシャーの働きについての詳細な洞察が得られる。


マハダシャー金星期(1910年5月20日~)


このマハダシャー金星期に黒澤明は画家を志望して努力していたが、挫折して断念している。

金星はラグナから見て1、8室支配で4室に在住し、3、6室支配の木星が12室からアスペクトしている。

ラージャヨーガは形成しているが特に強い配置とは言えない。

また月から見て3、10室支配で6室に在住し、5、8室支配で2室に在住する木星からアスペクトされている。

こちらも金星は3室や5室と絡んでおり、片側アスペクトによる弱いラージャヨーガを形成しているが特に強い配置とは言えない。

月から見て金星は6室に在住しており、金星期は、画家になることに奮闘(struggle)しているが、上手くは行っていない。



マハダシャー太陽期(1930年5月20日~)

マハダシャー太陽期の6年間についてはほとんど何も記載されていないが、「この頃から、一時期だけ非合法な政治活動に参加し、街頭連絡員として地下に潜っていた」(wikipedia)と記されている。

太陽は11室支配で6室に在住し、3、6室支配の木星と相互アスペクトしている。

3、6、11室のトリシャダヤハウスが全て絡んでおり、太陽期は低次の欲望や暴力的な闘争心、権力欲(貪欲)などに支配されるよくない時期である。

またこうした太陽と木星は6-12室の軸に在住しているため、地下(12室)に潜っての政治活動としての権力闘争(6室)を行っていたのである。

然し、1936年4月、太陽期の最後のアンタルダシャーである太陽/金星期にP.C.L.映画製作所(後に東宝と合併)の助監督募集に応募し、100倍の難関を突破して入社している。

このことが黒澤明の映画作家としての出発点である。



マハダシャー月期(1936年5月19日~)

このようにして黒澤明はまず映画作家としての人生を助監督としてスタートさせるが、月は10室支配で11室に在住して、9室支配の水星との間にラージャヨーガを形成しているため、1941年に書いた『達磨寺のドイツ人』というシナリオが評論家の間で話題となって、絶賛されたり、1942年に書いた『雪』が情報局国民映画脚本募集で情報局賞を受賞し、『静かなり』は日本映画雑誌協会の国策映画脚本募集で1位に入賞し、『姿三四郎』で監督デビューすると、新人監督に贈られる山中貞雄賞を受賞している。

月期になって、高い評価を受けていることが分かる。

また1945年5月21日の月/金星期には、監督第2作『一番美しく』に主演した矢口陽子と結婚している。



マハダシャー火星期(1946年5月20日~)

マハダシャー火星期になると、東宝ニューフェイスのオーディションで、三船敏郎を目撃し、 非常に興味深いことだが、黒澤明は審査委員長に直訴までして三船敏郎を採用し、後に黒澤映画の「生きる」をのぞくほとんど全ての作品に出演する。

マハダシャー火星期になると同時に三船敏郎と出会っていることから、火星は三船敏郎の表示体である。

火星はラグナから見た2、7室の支配星で8室に在住して、高揚するラーフと接合している。

三船敏郎は7室の支配星であることから、正に黒澤明のビジネスパートナーということが出来る。

「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」と言われた欠かせないパートナーである。

月から見ると火星は4、9室支配で10室に在住し、ラーフと接合して、5室支配の木星からアスペクトされている。

火星とラーフはラージャヨーガを形成している。

火星は7室から見て8室に在住していたことから、黒澤明にとって三船敏郎はまさに自分の映画にとってなくてはならない存在であった。

黒澤明は、インタビューで「三船がいなくなったらどうなる?」という質問に対し、「僕はもう映画が撮れなくなるかもしれない」と答えているという。

まさに三船敏郎が黒澤映画に欠かせない存在であったことを示している。



1948年3月に火星/木星期になると、第三次東宝争議(警察予備隊および連合軍の一員としてのアメリカ軍も出動した労働運動)が発生している。

黒澤明は同僚の映画作家と共に映画芸術協会を設立して組合を脱退し、争議終結まで他社で映画製作を行っている。

木星は3、6室支配で11室支配の太陽と6-12室の軸で相互アスペクトしており、木星期や太陽期には闘争やトラブルに巻き込まれることを示している。


黒澤明は、三船敏郎を自作に起用して、『醉いどれ天使』、『静かなる決闘』、『野良犬』を撮影し、1950年には『羅生門』を撮影している。

『羅生門』は国内では高い評価を受けなかったが、海外で高い評価を受けたのは、この時のダシャーが火星/水星期だからである。

1951年、『羅生門』は、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞している。

水星は海外を表す9、12室を支配し、10室支配の月との間にラージャヨーガを形成している。



マハダシャーラーフ期(1953年5月19日~)

マハダシャーラーフ期に入った直後のラーフ/ラーフ期に1年以上の製作期間と大規模な製作費をかけた『七人の侍』を発表している。

作品は大ヒットし、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞し、現在に至るまで映画史上の名作として国内外で高く評価を受けている。

また『生きものの記録』、『蜘蛛巣城』、『どん底』、『隠し砦の三悪人』を撮影し、黒澤明の名前がこの時期に国際的に高まっている。


ラーフ期にブレイクしたのは、ラーフは月から見て10室で高揚し、4、9室支配の火星と接合して、ラージャヨーガを形成し、ディスポジターの金星がラグナロードで4室でラージャヨーガを形成しているからではないかと考えられるが、その他にラーフはダシャムシャ(D10)で、ラグナに在住しているのではないかと考えられる。

そして、おそらくそれが黒澤明がマハダシャーラーフ期に成功した理由なのではないかと思うのである。




2チャンネルによれば、黒澤明の出生時間は21:00と記されているが、そうすると、D10のラグナは牡羊座ラグナとなる。

然し、D10のラグナが牡羊座であると、マハダシャー月期やマハダシャー火星期、そして、マハダシャーラーフ期に映画作家として活躍したことを説明できないのである。

そこで、出生時間を20:51:10に修正すると、D10のラグナは、魚座になって、魚座1室にラーフが在住している。

おそらく、このことが、黒澤明がマハダシャーラーフ期に成功した理由なのである。

ディスポジターの木星は1、10室支配で、2、9室支配の火星と3-9室の軸で1-9、9-10のラージャヨーガを形成している。

3室はメディアのハウスであり、9室は海外のハウスである。


D10のラグナが魚座ラグナであれば月は5室支配で10室に在住してラージャヨーガを形成し、3、8室支配の金星と相互アスペクトしている。

10室に3室(メディア、映像)や5室(創作)の支配星が絡んでおり、この配置もマハダシャー月期に映画を撮影した理由である。


またもう一つの理由として、ラーフのディスポジターである金星は、4、5室支配で7室で減衰する土星からアスペクトされている。

然し、この土星はディスポジターの火星が月からみてケンドラの10室に在住し、また土星が高揚する天秤座の支配星である金星がラグナからみてケンドラの4室に在住しているため、ニーチャバンガラージャヨーガを形成している。

また土星は月から見ると、6室支配で9室で減衰しており、パラシャラの例外則も成立している。


更に土星はナヴァムシャでも減衰しているが、ディスポジターである火星と接合しているので、ニーチャバンガラージャヨーガが成立しているが、ディスポジターの火星は月から見てケンドラの10室に在住している。また更に土星はラグナから見た3室で減衰し、月から見て8室の支配星が減衰しているため、2つのパラシャラの例外則が成立している。

従って、この減衰する土星は、二重否定の法則が何重にも形成されている状態である。

整理してみると、土星は出生図とナヴァムシャで、二重否定が何重にも成立している。

【ニーチャバンガラージャヨーガ】

(出生図)
・減衰する惑星が在住する星座の支配星がアセンダントや月から見てケンドラに在住 ⇒ 減衰する土星のディスポジターである火星が月からみてケンドラに在住
・減衰する惑星が高揚する星座の支配星がアセンダントや月から見てケンドラに在住 ⇒ 減衰する土星が高揚する天秤座の支配星である金星がラグナから見てケンドラに在住

(ナヴァムシャ)
・減衰する惑星が在住する星座の支配星がアセンダントや月から見てケンドラに在住 ⇒ 減衰する土星のディスポジターである火星が土星と接合


【パラシャラの例外則】

(出生図)
・3、6、8室の支配星が減衰するか惑星が3、6、8室で減衰している ⇒ 月から見て6室支配の土星が9室で減衰

(ナヴァムシャ)
・3、6、8室の支配星が減衰するか惑星が3、6、8室で減衰している ⇒ ラグナから見て3室で土星が減衰
・3、6、8室の支配星が減衰するか惑星が3、6、8室で減衰している ⇒ 月から見て8室支配の土星が10室で減衰


また土星は出生図とナヴァムシャで同じ星座に在住しているため、ヴァルゴッタマを形成しているが、更にD3、D4、D7、D10、D12、D20、D30でも牡羊座に在住している。

通常、惑星が減衰している場合、弱いと考えるが、多くの分割図で同じ星座に惑星が在住していることは、ヴァルゴッタマの拡張であり、高揚、減衰といった惑星の星位の分類とは全く別の法則として、その惑星が強いと見なすべきである。

それは減衰する土星の性質が良い形で出てくるのである。


おそらく、この配置は、黒澤明が本番前に何度もリハーサルを繰り返す「完璧主義者」であったことを説明するものである。

妥協を許さない演出

完璧主義とも呼ばれる黒澤は、妥協を許さない厳しい演出で知られる。

俳優の演技はごく自然に見えるまでリハーサルを何度も何度も行い、徹底的に役になりきらせている(当時の映画界ではリハーサルは重視されなかったが、黒澤はデビュー作からリハーサルを入念に行った)。また、本読みの段階から衣装を着させることもある。

黒澤作品の美術は細部まで綿密に作られ、巨大であるセットが特徴的である。長年黒澤作品で美術監督を務めた村木与四郎は、「(黒澤のセットの特長は)みんな大きなロケセットを一つデーンと建てちゃう点」と語っている。『野良犬』では30杯ものセットを作ったといわれ、『羅生門』では高さ20メートルに及ぶ巨大な門を大映京都撮影所前に建設した。カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込むのも特徴で、『赤ひげ』では薬棚の引き出しの中にまで漆が塗られ、『羅生門』では「延暦十七年」と彫られた門の瓦を4000枚も焼いている。
『蜘蛛巣城』のクライマックスとなる、三船演じる鷲津武時が城兵の裏切りにより、全身に矢を浴びせられてハリネズミのようになり最期を遂げるシーンでは、本物の矢が三船に射かけられるという命がけのスタントが行われ、三船は黒澤に「俺を殺す気か‼︎」と怒鳴ったほどである。

『天国と地獄』では、特急こだまからの身代金受け渡しシーンで、本物のこだま用国鉄151系電車を一編成チャーターし、実際に東海道本線上を走らせて撮影を行った。

ほかにも、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続けたり、撮影に使う馬はレンタルせず何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使ったり、ロケ現場に立っていた民家の二階部分が妨げになる為、住民にお願いして撮影の時だけ二階部分を取りさり、撮影終了後にもとに戻したなど、様々な逸話がある。


この上記の「妥協を許さない演出」は、まさに減衰した土星が強力に働いていることを示す配置である。

重要な個所は、太字で示したが、見えない所まで、セットを作りこんだり、役者にリハーサルを何度もやらせたり、本物の矢を三船敏郎に射かけたり、本物の列車をチャーターして、撮影したり、馬を丸ごと買い取って調教したり、民家の二階部分を撮影の時だけ、取り去るなど、やっていることには、皆、ルールや常識を無視した徹底性が見られる。

然し、これはある種、よい映画を作るためであり、土星の堅実さ、慎重さの表れとも言えるのである。

従って、黒澤明の土星は、減衰しているが強いという矛盾した働きをもたらしている。

それは決して、土星が減衰して、ルールや規則を守れないといった弱い土星の欠点としては発現していない。

この辺りは非常に興味深い所である。


そして、ここからが本題であるが、この減衰しているが、ニーチャバンガラージャヨーガやパラシャラの例外則を形成し、多くの分割図で同じ星座にあって強い土星が、ラーフのディスポジターである金星にアスペクトしている。

これがマハダシャーラーフ期に成功した理由の一つではないかと思われるのである。

マハダシャーラーフ期はディスポジターがその結果を表すのであるが、金星はラグナロードで4室に在住するばかりでなく、この強力な土星からアスペクトされていることが、ラーフ期の成功の理由なのではないかと思うのである。

またラーフをラグナとした場合に5室支配の水星が10室でラージャヨーガを形成し、3室支配の月と相互アスペクトするような配置もマハダシャーラーフ期に映画作家として活躍した理由を示している。



ナヴァムシャのラグナの検討

因みに出生時間を20:51:10に修正すると、D10のラグナは一つ前の魚座に移動するが、ナヴァムシャのラグナも水瓶座に移動する。



ナヴァムシャのラグナが水瓶座だと3室にラグナロードの土星と、3、10室支配の火星が在住して接合し、映像の仕事を表している。

そして、5室には5室支配の水星と2、11室支配の木星が在住して、創作活動(5室)で、2-5、5-11室のダナヨーガを形成している。

またマハダシャーラーフ期に何故、成功したかを考える時にラーフのディスポジターである木星が2、11室支配で、11室にアスペクトバックしているからであると考えられる。木星は5-11室の軸で、ダナヨーガを形成しており、それがラーフ期に国際的に評価され、成功した理由と考えることができる。

魚座ラグナだと、そのような映像製作の仕事をしているチャートと見なすのは難しくなるのである。

特に4室に在住する4、7室支配のバドラヨーガの水星と、1、10室支配の木星の1-4、1-7のラージャヨーガは、映画作家としての活躍を表しているようには全く見えない。


また黒澤明は、1945年5月21日に監督第2作『一番美しく』に主演した矢口陽子と結婚している。

この時は、月/金星期である。

ラグナが魚座であるとすると、マハダシャーの月は5室で定座に在住し、アンタルダシャーの金星は3、8室支配で7室に在住している。

金星が7室に在住しているので、結婚したタイミングと考えることも出来る。

但し、金星は3、8室支配で6室支配の太陽と接合し、ラーフ/ケートゥ軸と絡んでいることから結婚は、結婚にかなり問題が生じる配置である。


一方で、ナヴァムシャのラグナを水瓶座に設定すると、月は6室で自室に在住し、金星は4、9室支配で8室で7室支配の太陽と接合し、ラーフ/ケートゥ軸と接合している。

これでも結婚が説明できそうである。

魚座ラグナでは結婚に問題を含んでおり、結婚生活が安定するためには水瓶座ラグナの方が適している。


また黒澤明監督が死去した1998年9月6日は、土星/月期である。



水瓶座ラグナだと、ラグナロードの土星は、水瓶座ラグナにとってマラカの火星と接合し、アンタルダシャーはマラカの火星からアスペクトされるマラカの月である。

魚座ラグナだと、マハダシャーロードの土星は12室支配の土星でマラカの2室に在住しているが、アンタルダシャーの月は5室支配で、マラカとは絡んでいない。


従って、ナヴァムシャのラグナは水瓶座で良さそうである。

ナヴァムシャのラグナが水瓶座に確定すると、ダシャムシャ(D10)も連動して、魚座に移動し、マハダシャー月期、火星期、ラーフ期の映画作家としての成功を説明できる。

従って、黒澤明の出生時間はおそらく20:51:10付近である。




因みにマハダシャーラーフ期の前半は、黒澤明にとって輝かしい時期であった。

然し、ラーフ/土星期や、ラーフ/金星期に黒澤明の「完璧主義」による撮影期間オーバーによる予算超過が生じている。

この理由は、既に上述したように減衰した土星のアンタルダシャーの時期であり、ルールや常識を無視した完璧主義が顕現した為である。

ラーフ/金星期も金星が、この減衰した土星からアスペクトを受けているためにこのような完璧主義が生じている。

然し、この時、東宝との関係は悪化し、専属契約は解除されている。

これは金星が月から見て6室に在住し、6室支配の土星からアスペクトされていた為である。

このように土星は会社側との軋轢や完璧主義による予算超過などの問題をもたらすが、作品自体はその結果として良い作品に仕上がる訳である。

これこそが、ニーチャバンガラージャヨーガと、パラシャラの例外則の効果ではないかと思われる。

西暦 年月 出来事 ヴィムショッタリ チャラ トランジット
1954年   1954年、1年以上の製作期間と大規模な製作費をかけた大型時代劇『七人の侍』を発表。作品は大ヒットし、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。現在に至るまで映画史上の名作として国内外で高く評価されている。
さらに、原爆の恐怖を描いた『生きものの記録』、シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』、ゴーリキーの同名戯曲を江戸時代を舞台に映画化した『どん底』、娯楽時代活劇で黒澤初のシネマスコープ作品の『隠し砦の三悪人』を撮影し、黒澤の名を国際的に高めていった。
ラーフ/ラーフ    
1957年   第1回ロンドン国際映画祭にジョン・フォードとともに招かれ、オープニング作品として『蜘蛛巣城』が上映された。 ラーフ/木星    
1958年   ベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)を受賞。 ラーフ/木星
ラーフ/土星
   
1959年   黒澤プロダクションを設立した。黒澤プロの設立は、黒澤の意向によるものというより、『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業を煮やした東宝側が、黒澤にリスク負担させることにより枷をはめようとしたものであった(収益の分配も東宝側に有利な契約になっていた)。その後も時代劇の傑作『用心棒』や社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』などを発表し、大監督の名声を確定させる。 ラーフ/土星    
1965年   ヒューマニズムの傑作と謳われる『赤ひげ』を発表。枠をはめられることを嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させ本作は、撮影期間約1年を要して大幅な予算超過となり、東宝との関係は悪化。東宝との専属契約は、解除された。 ラーフ/金星    



然し、ラーフ期の後半になると、輝かしい時期も陰りを見せ始める。

ラーフ/太陽期になると、日米合作『トラ・トラ・トラ!』の製作に参加するが、20世紀フォックス側と撮影の仕方について意見の不一致が生じ、黒澤に反感を持つスタッフとの間で摩擦が発生し、スタッフがストに突入するなどして現場が崩壊し、結果として、黒澤明は米側により解任されている。

この時期、ラーフ/太陽期であり、太陽は11室の支配星で6室に在住し、3、6室支配の木星と6-12室の軸で、相互アスペクトしている。

上述したように太陽は11室の支配星であるため、競争心を剥き出しにし貪欲さを露わにした米側の制作陣との間での確執に苦しみ、そして、太陽は6室に在住したり、6室支配の木星と絡んでいるためにスタッフ(労働者)との間に摩擦が発生し、ストライキが生じたのである。

この時期に明らかに11室支配のアンタル太陽の凶意が顕現しているのが確認できる。


そして、ラーフ/月期に『どですかでん』を撮影しているが、黒澤明個人の邸宅を抵当に入れて資金を確保して製作するまでしたものの、商業的には失敗に終わっている。

月はナヴァムシャでは6室の支配星で、火星からアスペクトを受けており、D10でも3、8室支配の金星からアスペクトされている。

この月の配置は、ナヴァムシャ、ダシャムシャでは必ずしも良くないため、おそらく月期にパフォーマンスが発揮出来ていないのはこの為である。

1968年   日米合作『トラ・トラ・トラ!』の製作に参加する。20世紀フォックス側のアメリカ公式発表では黒澤は日本側部分の演出担当、黒澤プロ側の公式発表および日本での報道では総監督となっていた。しかし、黒澤の映画作りの方法とアメリカの映画作りの方法とがうまく合わなかったり(黒澤は事前に十分なリハーサルを行った上で、撮影に臨むのが通例であるが、米側に、この事前リハーサルの意味が理解されず拒否されるなど)、東京から来た黒澤に反感を持つ東映京都撮影所スタッフとの間で摩擦が発生しスタッフがストに突入するなどして現場が崩壊したことなどを理由にスケジュールが大幅に遅延した。ついに製作遅延を無視できなくなった米側により事実上の解任をされ、表向きには健康問題を理由に監督を降板したという発表がなされた。 ラーフ/太陽
ラーフ/月
   
1969年 10月 木下惠介、市川崑、小林正樹らと四騎の会を結成。 ラーフ/月    
1970年   山本周五郎の『季節のない街』を原作に、四騎の会で製作した初のカラー作品『どですかでん』を撮影。黒澤個人の邸宅を抵当に入れて資金を確保して製作するが、商業的には失敗となる。 ラーフ/月
ラーフ/火星
   
1971年 12月22日 自殺未遂事件を起こす。日本の映画産業の衰退の時期と重なったこともあり、この後は5年おきに撮るようになった。 木星/木星    
1975年   ソビエト連邦から招かれ、ごく少数の日本人スタッフを連れてソ連に渡り『デルス・ウザーラ』を撮った。ソ連の官僚体制の中で思うように撮影が進まず、シベリアのタイガでのロケーション撮影は困難を極めた。完成した作品は、それまでの作風と異なり極めて静的なものであったために日本国内では評価が分かれたが、モスクワ映画祭金賞、アカデミー外国語映画賞を受賞。ソ連側の期待に十分に応え、日本国外では黒澤復活を印象づける作品となった。 木星/土星    


そして、黒澤明は、木星/木星期になると、自殺未遂事件を起こしている。

木星は天秤座ラグナにとっては、3、6室支配のマラカであり、同じく11室支配のマラカの太陽と相互アスペクトしている。

黒澤明にとって、太陽期や木星期はひどい時期になったようである。



1975年にソビエト連邦から招かれて、『デルス・ウザーラ』を撮影しているが、この時は木星/土星期である。

モスクワ映画祭金賞、アカデミー外国語映画賞を受賞して、黒澤復活を印象づける作品となったという。

これはアンタルダシャーが土星期であり、土星は黒澤明にとっては、ラージャヨーガカラカであり、ニーチャバンガやパラシャラの例外則をもたらす強力な土星だからである。


木星/水星期になると、日本政府から文化功労者として顕彰され、そして、木星/金星、木星/ラーフ期と続く時期に『影武者』を発表して、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、『乱』をして、アカデミー賞で、監督賞にノミネートされている。


またこの木星/ラーフ期に文化勲章を受章している。


やはり、アンタルダシャーでもラーフ期が来ると、強力にラージャヨーガが顕現することが分かる。

1976年 11月 日本政府から文化功労者として顕彰される。 木星/水星    
1980年   ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配して『影武者』を発表し、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。 木星/金星    
1985年   フランスとの合作で『乱』を公開。 木星/ラーフ    
1985年 11月 文化勲章を受章。映画業界の人物としては初の文化勲章受章者となった。 木星/ラーフ    
1986年   第58回アカデミー賞に出席。『乱』で監督賞などにノミネートされたほか、衣裳デザイン賞でワダ・エミが受賞。黒澤はビリー・ワイルダー、ジョン・ヒューストンとともに作品賞のプレゼンターを務める。 木星/ラーフ    



そして、マハダシャー土星期になると、かつて黒澤明の撮影手法から多くを学んで成功したスティーブン・スピルバーグの提供で、『夢』の製作を行い、アカデミー名誉賞なども受賞している。

然し、土星/金星/火星期に京都の旅館で転倒骨折し、療養生活に入ってしまう。

続く土星/太陽期は、これまでの流れでもよくない時期であることが分かる。

1988年   1988年から米ワーナー・ブラザーズの製作とスティーブン・スピルバーグの提供で『夢』の製作に取り掛かり、1990年に公開された。以上の3作はいずれも外国資本参加によって製作された。 土星/土星    
1990年   アカデミー名誉賞を受賞。ルーカスとスピルバーグが、「現役の世界最高の監督です。“映画とは何か”に答えた数少ない映画人の彼にこの賞を送ります」と紹介した。 土星/土星
土星/水星
   
1995年-1998年   遺作となった『まあだだよ』公開後、山本周五郎の二つの短編作品を脚色した『海は見ていた』のシナリオを執筆。1995年から『雨あがる』の脚本執筆に取り掛かるが、3月に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入る。 土星/金星
土星/太陽
土星/月
   
1998年 9月6日 1998年9月6日午後0時45分、脳卒中により死去。88歳没。 土星/月    
1998年 10月1日 叙・従三位。同年10月1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞。 土星/月    



(ポイント)

このように黒澤明のチャートは、パラシャラの例外則、ニーチャバンガラージャヨーガによる二重否定、土星の各分割図における同一星座に在住することによる強さなどが見られる非常に興味深いチャートである。

また多くの映画作家が黒澤明の映像手法、構図の妙によって学んだということは、水瓶座に在住する9、12室支配の水星がもたらしたものだとよく理解できる。

そして、三船敏郎の存在は、7室支配で8室に在住する火星がもたらしたものであることが分かる。





(資料)

西暦 年月 出来事 ヴィムショッタリ チャラ トランジット
1910年 3月23日 東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)の荏原中学校(現日体荏原高等学校)職員社宅に、父・勇と母・シマの4男4女の末っ子として生まれる。 ケートゥ/水星    
1916年   森村学園附属幼稚園に入園。この頃、映画を観ることは「教育上好ましい」と語る父に連れられて、よく映画見物に出かけていた。黒澤は、ウィリアム・S・ハート(英語版)主演の西部劇や連続活劇など、洋画をよく観ていたという。 金星/月
金星/火星
   
1917年   同学園尋常小学校に入学 金星/火星
金星/ラーフ
   
1918年   父・勇が不正経理を追及され、理事の職を解かれた。そのため、大井町から小石川区西江戸川町(現在の文京区水道一丁目)の借家に移り、黒田尋常小学校(文京区立第五中学校の前身)に転学した。 金星/ラーフ    
1918年~1924年   小学校低学年の頃、気の弱かった黒澤は、泣き虫でいじめられっ子だった。3年生の時、図画の時間に描いた絵が個性的であるために他の生徒に笑われる中、担任だった立川精治はこの絵を褒めるということがあった。すると、それ以来絵を描くことが好きになり、同時に学校の成績も伸び、やがて級長にもなった。後に黒澤は、立川を「生涯の恩師」と語っている。さらに実兄の丙午(須田貞明)から厳しい指導を受けたことや、終生の友となる級友の植草圭之助に出会ったこと、父のに言われ剣道を始めたことなどで、心身ともに逞しくなり、卒業式では総代として答辞を呼んだ。

金星/ラーフ
金星/木星
金星/土星

   
1924年~1927年   卒業後、東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)を受験するも失敗し、京華中学校に入学。在学中に同舟舎洋画研究所に通う。中学時代からドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフなどのロシア文学を読み耽ったことで、人生観、倫理観の形成に多大な影響を受けた。また、学友会誌に作文「蓮華の舞踏」と「或る手紙」を載せ、国語教師の小倉要逸に「創立以来の名文」と絶賛された。 金星/土星
金星/水星
   
1927年   中学を卒業した黒澤は、画家になることを志し、美術学校(現・東京藝術大学美術学部)を受験するが失敗した。しかし、画家の道を諦めきれず、川端画学校に通って洋画を勉強。 金星/水星    
1928年   二科展に「静物」が入選。同年、造形美術研究所(のちのプロレタリア美術研究所)に入る。 金星/水星    
1929年   日本プロレタリア美術家同盟に参加し、洋画家・岡本唐貴(白土三平の実父)に絵を教わる。当時黒澤は、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど、ルネッサンス美術の絵画や彫刻に心酔していたという。 金星/水星
金星/ケートゥ
   
1929年 12月 第2回プロレタリア美術大展覧会に「建築場に於ける集会」「帝国主義反対」「農民習作」「農民組合へ」「労働組合へ」の5つの政治色の強い作品を出品した。 金星/ケートゥ    
1930年   徴兵検査を受けるが、父が有力な軍人であったことや、兄が騎兵時代に負傷したこともあってか免除されている。この頃から、一時期だけ非合法な政治活動に参加し、街頭連絡員として地下に潜っていた。
金星/ケートゥ
太陽/太陽
   
1936年 4月 画業に見切りをつけた黒澤は、新聞広告で見たP.C.L.映画製作所(後に東宝と合併)の助監督募集に応募し、100倍の難関を突破して4月に入社した。 太陽/金星    
1940年-1941年?   山本監督の『馬』でB班監督を務めた際、主演した高峰秀子と恋愛関係にあったが、山本嘉次郎が破談役となって、不実で終わっている。 月/木星
月/土星
   
1941年   谷口千吉の推薦によって、主に山本嘉次郎監督の下で助監督を務め、『藤十郎の恋』や『綴方教室』などを担当した。また、山本の助言でシナリオを書くようになり、1941年に書いた『達磨寺のドイツ人』は、映画化はされなかったものの評論家の間では話題となり、伊丹万作からも絶賛された。 月/土星    
1942年   翌1942年に書いた『雪』は情報局国民映画脚本募集で情報局賞を受賞し、『静かなり』は日本映画雑誌協会の国策映画脚本募集で1位に入賞した。 月/土星
月/水星
   
1943年   『姿三四郎』で監督デビュー。作品はヒットし、新人監督に贈られる山中貞雄賞を受賞。 月/水星
月/ケートゥ
   
1945年 5月21日 終戦前の1945年5月21日、監督第2作『一番美しく』に主演した矢口陽子と結婚。媒酌人は山本嘉次郎夫妻で、明治神宮で挙式を行った。同年、『虎の尾を踏む男たち』を敗戦をまたいで製作する。製作中に黒澤が敬愛するジョン・フォードが進駐軍の将官として見学に訪れていた。黒澤はこのことを後にフォードから聞いて驚いたという。一方、作品は検閲で公開を見送られ、1952年にようやく公開された。 月/金星    
1946年   山本嘉次郎が審査委員長を務めた東宝ニューフェイスのオーディションにおいて、撮影助手志望だったが、何かの手違いで俳優オーディションの面接を受けていた三船敏郎を目撃。本来は落選となっていた三船だが、一目ぼれした黒澤は山本に直訴までして採用。三船のデビュー作『銀嶺の果て』では既に脚本を執筆(主演は志村喬)。 月/太陽
火星/火星
火星/ラーフ
   
1947年   戦後第1作は、民主主義啓蒙映画の『わが青春に悔なし』で、翌1947年に、焼跡の市井の人にスポットをあてた『素晴らしき日曜日』を発表し、毎日映画コンクール監督賞を受賞。東宝の看板監督の一人となった。 火星/ラーフ
火星/木星
   
1948年   『醉いどれ天使』で三船を自作に起用し、以来黒澤作品の常連俳優となった。同年3月、第三次東宝争議が発生、この影響で黒澤は山本、谷口、成瀬巳喜男、本木荘二郎、松山崇、田中友幸らと映画芸術協会を設立して組合を脱退。争議終結まで他社で映画製作を行うことになる。
火星/木星
火星/土星
   
1949年   大映で『静かなる決闘』を、新東宝で黒澤初のサスペンス映画となる『野良犬』を発表。 火星/土星
火星/水星
   
1950年-1951年   大映で『羅生門』を撮影。人間不信をテーマに描いたものの難解な作品であったため、国内での評価はあまり高くはなかった。しかし、海外では大きな反響を呼び、1951年、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目され、「世界のクロサワ」と呼ばれるきっかけとなった。

火星/水星
火星/ケートゥ
火星/金星

   
1952年   東宝復帰第1作として志村喬主演で『生きる』を発表。ヒューマンドラマの傑作との呼び声が高く、ベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞した。 火星/金星
火星/太陽
火星/月
   
1954年   1954年、1年以上の製作期間と大規模な製作費をかけた大型時代劇『七人の侍』を発表。作品は大ヒットし、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。現在に至るまで映画史上の名作として国内外で高く評価されている。
さらに、原爆の恐怖を描いた『生きものの記録』、シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』、ゴーリキーの同名戯曲を江戸時代を舞台に映画化した『どん底』、娯楽時代活劇で黒澤初のシネマスコープ作品の『隠し砦の三悪人』を撮影し、黒澤の名を国際的に高めていった。
ラーフ/ラーフ    
1957年   第1回ロンドン国際映画祭にジョン・フォードとともに招かれ、オープニング作品として『蜘蛛巣城』が上映された。 ラーフ/木星    
1958年   ベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)を受賞。
ラーフ/木星
ラーフ/土星
   
1959年   黒澤プロダクションを設立した。黒澤プロの設立は、黒澤の意向によるものというより、『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業を煮やした東宝側が、黒澤にリスク負担させることにより枷をはめようとしたものであった(収益の分配も東宝側に有利な契約になっていた)。その後も時代劇の傑作『用心棒』や社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』などを発表し、大監督の名声を確定させる。 ラーフ/土星    
1965年   ヒューマニズムの傑作と謳われる『赤ひげ』を発表。枠をはめられることを嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させ本作は、撮影期間約1年を要して大幅な予算超過となり、東宝との関係は悪化。東宝との専属契約は、解除された。 ラーフ/金星    
1968年   日米合作『トラ・トラ・トラ!』の製作に参加する。20世紀フォックス側のアメリカ公式発表では黒澤は日本側部分の演出担当、黒澤プロ側の公式発表および日本での報道では総監督となっていた。しかし、黒澤の映画作りの方法とアメリカの映画作りの方法とがうまく合わなかったり(黒澤は事前に十分なリハーサルを行った上で、撮影に臨むのが通例であるが、米側に、この事前リハーサルの意味が理解されず拒否されるなど)、東京から来た黒澤に反感を持つ東映京都撮影所スタッフとの間で摩擦が発生しスタッフがストに突入するなどして現場が崩壊したことなどを理由にスケジュールが大幅に遅延した。ついに製作遅延を無視できなくなった米側により事実上の解任をされ、表向きには健康問題を理由に監督を降板したという発表がなされた。 ラーフ/太陽
ラーフ/月
   
1969年 10月 木下惠介、市川崑、小林正樹らと四騎の会を結成。 ラーフ/月    
1970年   山本周五郎の『季節のない街』を原作に、四騎の会で製作した初のカラー作品『どですかでん』を撮影。黒澤個人の邸宅を抵当に入れて資金を確保して製作するが、商業的には失敗となる。 ラーフ/月
ラーフ/火星
   
1971年 12月22日 自殺未遂事件を起こす。日本の映画産業の衰退の時期と重なったこともあり、この後は5年おきに撮るようになった。 木星/木星    
1975年   ソビエト連邦から招かれ、ごく少数の日本人スタッフを連れてソ連に渡り『デルス・ウザーラ』を撮った。ソ連の官僚体制の中で思うように撮影が進まず、シベリアのタイガでのロケーション撮影は困難を極めた。完成した作品は、それまでの作風と異なり極めて静的なものであったために日本国内では評価が分かれたが、モスクワ映画祭金賞、アカデミー外国語映画賞を受賞。ソ連側の期待に十分に応え、日本国外では黒澤復活を印象づける作品となった。 木星/土星    
1976年 11月 日本政府から文化功労者として顕彰される。 木星/水星    
1980年   ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配して『影武者』を発表し、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。 木星/金星    
1985年   フランスとの合作で『乱』を公開。 木星/ラーフ    
1985年 11月 文化勲章を受章。映画業界の人物としては初の文化勲章受章者となった。 木星/ラーフ    
1986年   第58回アカデミー賞に出席。『乱』で監督賞などにノミネートされたほか、衣裳デザイン賞でワダ・エミが受賞。黒澤はビリー・ワイルダー、ジョン・ヒューストンとともに作品賞のプレゼンターを務める。 木星/ラーフ    
1988年   1988年から米ワーナー・ブラザーズの製作とスティーブン・スピルバーグの提供で『夢』の製作に取り掛かり、1990年に公開された。以上の3作はいずれも外国資本参加によって製作された。 土星/土星    
1990年   アカデミー名誉賞を受賞。ルーカスとスピルバーグが、「現役の世界最高の監督です。“映画とは何か”に答えた数少ない映画人の彼にこの賞を送ります」と紹介した。 土星/土星
土星/水星
   
1995年-1998年   遺作となった『まあだだよ』公開後、山本周五郎の二つの短編作品を脚色した『海は見ていた』のシナリオを執筆。1995年から『雨あがる』の脚本執筆に取り掛かるが、3月に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入る。 土星/金星
土星/太陽
土星/月
   
1998年 9月6日 1998年9月6日午後0時45分、脳卒中により死去。88歳没。 土星/月    
1998年 10月1日 叙・従三位。同年10月1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞。 土星/月    
ウィキペディアより引用抜粋、一部編集